大阪市の中南部に位置する天王寺区は、日本最古の官営寺院があることで有名です。
大阪市天王寺区の地名は聖徳太子が建てたといわれている四天王寺に由来しているといわれています。
そんな歴史的建造物が多い三光神社もたくさんの魅力がある神社です。
今回は概要やその魅力についてご紹介していきます。
大阪市天王寺区にある三光神社の概要
神社の概要を知ると、より魅力を感じることができるでしょう。
創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられています。
創建以後、神職として奉仕されていた武内宿弥の末商武川氏(八十六代)にして今に至ります。
大阪城東南の丘陵真田山にあり、昔は姫山神社と呼ばれていました。
全国的には真田山の三光という名称がよく知られるようになったので「三光神社」となったといわれています。
古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られていました。
大阪市天王寺区に古くからある由緒正しい神社ですが、終戦の年の6月1日に各社殿をはじめとするすべての建物と氏子全域を焼失。
復興は不可能といわれるほどでした。
しかし、戦後氏子崇敬者の総意によって、第一期に本殿を復興し第二期には社務所と長い年月を重ね復興を遂げたのです。
大阪市天王寺区にある三光神社の見どころ
歴史がある神社としてだけでなく、見どころも豊富にあります。
そのなかから境内のおすすめ名所は
●片柱の鳥居
●真田の抜け穴
●真田幸村の像
の3か所です。
まず「片柱の鳥居」ですが、歴史を感じられる場所といっても良いでしょう。
かつて由緒ある三光神社の御門として誇っていた大鳥居が、第二次世界大戦の戦火によって片柱のみとなってしまいました。
戦後、この鳥居の復興において悲惨な戦争を二度と繰り返すことがないように、平和と国家の安泰を祈願して片柱を残すことにしたと言われています。
さまざまな想いが込められた片柱には、大相撲の名も刻まれているところも見どころです。
次に見ておきたいのが「真田の抜け穴」です。
慶長元年の大阪合戦のころ、真田幸村がこの地に偃月城(えんげつじょう)と名づける塁を定めました。
大阪城から偃月城までの地下に暗道を設けたと言い伝えられ、いまもその跡が今も境内地下にあります。
真田幸村との関係が深い三光神社には「真田幸村の像」があります。
真田の抜け穴脇に真田幸村が陣中に指揮をとっている姿の銅像が建てられました。
銅像の台座には信州上田にある真田家の菩提寺である長谷寺から取り出した石が置かれています。
銅像だけでなく、台座の石も見どころの一つです。
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まとめ
長い歴史を持つ由緒ある三光神社は季節によって雰囲気が大きく変わるのも魅力です。
それぞれの季節でお祭りなどの行事もあります。
大阪市天王寺区に来たら自然豊かな三光神社まで、足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
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